ショーン・ペン
『クラッシュ』での映画君のコメントを読んで、どうしても
『ミスティック・リバー』(2003年)について書きたくなった。
なぜかというと、イーストウッドのことが好きな井筒監督でさえ、
この映画のこと、ちゃんと理解されていなかったから…。
深夜テレビの「こちとら自腹じゃ」コーナーでは、
3点満点の採点で、★★(二つ)付けているにもかかわらず、
「こんなラストで、ええんか?」みたいなことを言ってた…(笑)。

そればかりか、この映画に対する紹介や感想を読んで、ほとんど
満足できる解説にお目にかかったことがない。「珍しい映画」だ。

なかには「理解不能、共感不能」なんて書いてる人もいた。
ある意味、素直でいいかもしれないけど…(笑)。

欧米での評論は、ちゃんと読んだことがないが、極めて評価が高い。
一方で観客の反応は、極端に賛否が分かれている。それでも、
クリント・イーストウッドが出演してない監督作においては
最大のヒット(全米興収9000万ドル)となった映画だ。まあ、もちろん、
これだけの役者を揃えてアカデミー主演男優賞(ショーン・ペン)、
助演男優賞(ティム・ロビンス)を受賞し、作品賞・監督賞・脚色賞、
さらに助演女優賞(マーシャ・ゲイ・ハーデン)の6部門でオスカー
候補となったのだから、当然といえば当然なのだが、前述のように、
多くの観客にきちんと理解されている映画とは決して言い難い。

なかには理解不足を棚に上げて「愚作」とか「娯楽映画」とか書いてる
人もいたし、ティム・ロビンス演じるデイブが可哀相すぎる、と嘆く人も
少なくなかった。確かに、少年時代の一件からしてデイブの人生は
「可哀相すぎる」と思うが、後味の悪さも含め、それが演出意図だ。
問題は、それが何を描いているかってこと……(そのことを満足に
書いてる人がほとんど見当たらない。あなたは理解してますよね?)

少年時代のトラウマの影響を描いた映画か?……正確には全然違う。
では、親友3人のその後の友情を描いた映画?……それも少し違う。
では、単なる犯人探しの娯楽ミステリー映画?……明らかに違う。
確かに、この映画は犯人探しの推理ドラマの形で物語を見せている。
それが映画のヒットには不可欠だったろう。しかし、テーマは別だ。
だって真犯人が誰だったかなど、忘れてしまっても問題ないぐらい、
『ミスティック・リバー』では、ちっとも重要じゃなかったでしょ?

(以下、ネタバレしてます。見てない人は注意してください!)

では、オープニングシーンから、順を追って見ていこう。
少年時代、親友3人のうち、デイブだけがゲイに連れ去られ性的虐待
を受ける。そのことは、お互いタブーの話として3人は大人になる。
実はここからして、イーストウッドの壮大なダマしが始まっている。
ただし、それは真犯人を勘違いさせる、という意味の演出じゃない。
「オープニングシーンは不要」などと書いてる人もいたが、まったく
この映画をわかってない証拠だ。

映画の前半のエピソードは、実はすべて観客の既成概念や思い込みを
助長させるための仕掛けでしかなく、その最も象徴的シークエンスが、
ショーン・ペンの一人娘が惨殺され、その夜のデイブの行動が不審な
ことから少年時代の忌まわしい記憶が観客に蘇ってくるという展開だ。

娘の惨殺現場のショーン・ペンの激しい悲しみの演出が尋常じゃない
……イーストウッドにしては珍しく、確か俯瞰のハイスピード撮影で
警官にモミクチャに制止されるショーン・ペンをご丁寧に映し出す。

これでもう、すっかり観客はダマされる。実際に娘がいる井筒監督も
そうだった(笑)。「すごい剣幕やね…」「昔のトラウマっていうのは
必ず人間性に影響するもんなんや…」と、映画を見ながら井筒監督は
得意気に解説していた……それは、まさにイーストウッドが意図した
演出の通り勘違いしていく人の反応に他ならない。つまり、実際それ
は見ている人の既成概念に過ぎないからだ。いわゆる、思い込みだ。

イーストウッドの演出は、そうした観客の思い込みの上に、さらに
「これでもか、これでもか」と勘違いを固定概念化させる、ダマシの
セリフやシーンを入念に散りばめていく。以下がその展開だ。
この事件を担当する刑事がもう一人の親友だったケビン・ベーコン。
相棒がローレンス・フィッシュバーン。相棒はデイブの過去を暴き、
彼が怪しいと睨む。デイブの妻(マーシャ・ゲイ・ハーデン)さえも
夫の過去の秘密を初めて知り、夫が信じられなくなる。そして、夫の
親友だったショーン・ペンに、デイブが事件の夜、血だらけで帰宅し
たことを告白する。ショーン・ペンは犯人がデイブだと確信し、報復
を決行する。少年時代の事件が「もしデイブじゃなくて自分だったら
立場が逆だったかも」と、彼がケビン・ベーコンと何度も話し込むの
も、観客の勘違いを固定概念化させるためのダメ押し的演出だ。残る
ストーリーで重要なのは、デイブが犯人ではない、という点だけだ。

結局、デイブはショーン・ペンに殺され、その後、真犯人が判明した
のに、ケビン・ベーコンはデイブの殺人事件とすることで=これ以上
親友を失いたくない、という私的な判断で、真実を闇に葬って終わる。

それで、井筒監督のように固定概念がすっかり出来上がっている人に
とっては、とんでもなく納得できない結末になってしまうわけだ。

しかし、頭の柔らかい純粋な心の人なら、そこで何が描かれていたか
気がつくことだろう。つまり、「あなたの思い込みは真実ではない」
って話なんだね。『クラッシュ』とテーマは同じ、と前回書いたのは、
そういう意味だったんだけど、描き方がまったく違う。こちらの方が
推理ミステリーの形で、はるかに辛い現実を突きつけるから暗くなる。

人間は自分の知ってる既成概念の中で、勝手に真実はこう、と決めつけ
ているケースが多い。ところが、その通りでない現実を突きつけられる
と、にわかに納得できず困惑する。井筒監督の反応がまさに、それだ。

だからイーストウッドの演出は、観客を勘違いさせないと成功したとは
言えないし、その意味では成功しているんだけど、あまりにその演出が
入念でしつこ過ぎた(笑)のか、ダマされて納得できないまま見終えて
しまった観客も多くいた(テーマがちゃんと伝わらなかった)。そうした
意味では『クラッシュ』ほど成功してないとも言える。微妙なんだな。
そのバランスを取るのが非常に難しかったと思う。別の見方をすれば、
映画自体より、それを見た観客のいろんな反応や感想の方が
ずっと面白い?…かもしれないね(笑)……総合評価★★★★

この映画は極めて原作に忠実だが、ラストだけがちょっと違う。原作は
ケビン・ベーコンの刑事がショーン・ペンに対してかなり非難するし、
ショーン・ペンの妻(ローラ・リニー)も真実を知って夫を殴る。が、
映画はそこを描かず、どこまでの人が真実を知ったのかどうかも
判然としない。それで、映画の方がより一層、「現実は闇に葬られ、
表面に出てこないこともある」「真実は皆が知っている現実とは違う」
という人間世界の悲しい不条理を強く打ち出し、極めて硬派なテーマを
扱った話になっている。まさに、『ミスティック・リバー』のタイトルそのもの。

この脚本を書いたのは、大好きな『ロック・ユー!』や『ペイバック』
の監督・脚本家のブライアン・ヘルゲランド。イーストウッドが主演、
監督した『ブラッド・ワーク』(2002年、総合評価★★★★)も彼の脚本。
今、一番好きな脚本家の一人だ。

それでも納得できない方のために、この話の続きはコチラから!!



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ミスティック・リバー 特別版 〈2枚組〉



デニス ルヘイン, 加賀山 卓朗
ミスティック・リバー