多くの問題を抱えたまま第一回の開催となった国別対抗野球
=WBC(ワールド・ベースボール・オブ・クラッシク)で、
日本のプロ野球とメジャーリーガーの代表が初めて真剣勝負を
繰り広げる、そんな心待ちにしていた歴史的な試合を昨日、
5時半に早起きして、「途中まで」堪能した。

事件は日本時間の13日午前8時半頃起きた。
同点で迎えた試合の終盤、一死満塁から犠牲フライで
日本が決勝点をもぎ取ると、米国チームから審判にクレーム。
塁審はセーフのジャッジ、そこで米国の監督は球審に詰め寄る。
球審は塁審を呼んで一方的に話を始めると、突然「アウト」を宣告。
いとも簡単に判定が覆った瞬間、球場の観客はワーッ!と大歓声。
米国の監督はガッツポーズ。当然、納得できない日本の王監督は
通訳を連れて球審に抗議するが、その間、観客は大ブーイング。

結局、抗議は認められず同点のまま試合再開。
そこでテレビのスイッチ切って、仕事に出かけた。
もう試合の結果は見えていた。予想通り、
日本はアメリカにサヨナラ負けした。

その後、この事件の詳報から、いろんなことが初めてわかった。
世界最高の選手が初めて集まる野球の世界大会だっていうのに、
審判は日本の2軍に相当するマイナーリーグの審判だったこと。
審判4人のうち、球審をはじめ3人がアメリカ人審判だったこと。
この球審は、スタンドプレー好きでメジャーリーグの審判を解雇
されていたこと。ロッテのボビー・バレンタイン監督が、
「あの審判は、まだやっていたのか。ひどい判定だ」
というような感想をもらしている記事も見た。

実際、この問題のシーンは現地で繰り返しリプレイ放映され、
「判定を覆したのは、誤審だった」と全米各紙も伝えている。
朝鮮日報などは、「米国の厚顔無恥な詐欺劇」とまで報じた。

しかし、試合の結果は覆らない。ただ、それ以前の問題として、
国際試合でアメリカだけが自国の試合を判定するというルール、
しかも審判のレベルが世界最高のレベルの大会に相応しくない、
いわば二流の人たちで構成されていること、さらに対戦カードも
含め、これらすべてをアメリカが勝手に決めたものであること。

これだけ問題だらけの見切り発車では、事件は起こるべくして
起こったと言わざるを得ない。これがサッカーなら国際問題だ。
米国が逆の立場だったら、ボイコットまでしかねないだろう。
日本が当初、出場に難色を示していたのも頷ける。
あまりにもアメリカが勝手に一人で事を進め、
思惑通り展開するように最初から基本線を定めていたからだ。
その線に沿わない展開が起こるとルールを都合よく変更して
正当性を強調する。これがいつものアメリカのやり方。
イラクへの戦争を始めた経緯も非常によく似ている。

米国の監督は、問題のタッチアップの際、「野手が捕球した時、
走者は5歩も6歩もベースから離れたところを走っていた」と
コメントし、正当性を主張した。が、再生ビデオを見れば、
それが単なる「思い込み」であったことは明らか。

まるで、「イラクは大量破壊兵器を持っている」と主張して
イラクに戦争を仕掛けたブッシュ大統領のように見えた……
(結局、そんな大量破壊兵器は、いまだ見つかっていない)

先日ここで紹介した『ミスティック・リバー』が公開されたのは、
そんなイラクへの戦争をちょうどアメリカが仕掛けた時期だった。
娘を惨殺されたショーン・ペンの激しい怒りと悲しみの演技には、
誰もが一時は共感し、あるいは報復は当然と思った人もいただろう。

しかし、あまりにそうした激しい「思い込み」の強さから、
報復する相手を間違え、なおかつ間違えて殺したことに対し
反省するでもなく、結局、真実をうやむやに葬ってしまう。

それは、まるで9.11の同時多発テロの報復として
イラクを攻撃した米国の今の姿、そのもののように見える。

しかも、アカデミー主演男優賞、助演男優賞をW受賞した
ショーン・ペンとティム・ロビンスは、ともにリベラルで
過激な反戦思想を主張する、時の政府(共和党支持者)に
とってはブラックリスト扱いの問題発言者だったから、
余計に米国では政治的主張のニュアンスが色濃い映画として
『ミスティック・リバー』は捉えられていた。もちろん、
クリント・イーストウッド監督が、そういう政治的な主張を
展開するために撮った映画なのかどうか、本質はわからない。

確かなことは撮影中、イーストウッドが演出について何度も
ショーン・ペンに相談していたということだ。普通に考えたら、
年齢的にも監督のキャリアから言ってもスターの格から言っても、
それは考えられないこと。一体、何を相談していたのか、
あまり深くは語られていない。

ただ当時、世界を騒がせていた事件をまったく意識していなかった、
とは言い切れまい。おそらく、そうした政治的な意味合いとも取れる
内容をどこまで出すべきか、あるいは抑えるべきか、そのバランスを
ショーン・ペンと相談していたのではないだろうか。

前々回、『ミスティック・リバー』の内容について書いた時は、
そうした当時の世の中の背景には一切触れず、時代と切り離して
テーマの本質だけを書いたつもりだった。背景など語らずとも、
硬派なテーマの映画として十分に魅力的だと考えていたからだ。

けれど、昨日のまるで茶番劇になりかねない米国主導の世界最強
野球国を決する初の大イベント運営を見ていて、あまりにも
アメリカ的なところがイラク攻撃の経緯さえ彷彿とさせ、
そんなアメリカ的体質にクギを刺すかの如く登場した
『ミスティック・リバー』の時代背景も紹介した方が、
政治的意図が実はあったにしても、なかったにしても、
この映画をより深く楽しむことができるかなあ、と
やはり思ったので、今回は付け足し記事とさせていただきました……
(だって、コメント欄では書き切れない長さでしょ?)