ミリオンダラー・ベイビー
クラッシュ』でアカデミー作品賞を獲ったポール・ハギス脚本、
同じく『クラッシュ』に出演していたライアン・フィリップ主演、
そして『南極物語』に主演したポール・ウォーカーも出演する、
クリント・イーストウッド監督の次回作『父親たちの星条旗』が
既にクランクアップして今秋、日本公開されることになった。

前作『ミリオンダラー・ベイビー』は、再びアカデミー監督賞と
作品賞を彼にもたらした他、主演女優賞、助演男優賞も獲得し、
興行的にも『ザ・シークレット・サービス』以来の全米1億ドル
突破となる大ヒットで、あまりに皆が大絶賛するもんだから、
子供の頃からのクリント・イーストウッドのファンとしては
「あまのじゃく」的な気分に陥り、昨年見た映画の「第1位」
投票までしておきながら、これまで紹介記事を書いてこなかった。

だいたい内容的には皆さんが書いている通りの傑作で、自分も同じ
ような紹介記事を書いても仕方ないし、より詳しく書こうとすれば
キリがなくなりそうで、出世作の『荒野の用心棒』(1964年)から
1本ずつ全部(正確には見てないのが数本ある)紹介したい衝動に
今でも駆られるけど、それじゃ何カ月もかかってしまうし…(笑)

最も笑った紹介文は、「実話でもないのに、私の日常より不幸になる
人の話を見せられて、ドーッと落ち込んだ。普通に生活したい人は、
見ない方がいい。地獄の炎に焼かれますよ!」みたいな感想だった。

でも、時々トンチンカンな紹介文を書いてる人もいて(おそらく、
ここ十数年ほどのイーストウッドしか見てないからだと思われる)、
意外と最盛期の彼を見てなくて、知らない人が多いんだなぁ~と。
それで、少しずつイーストウッドについて書きたくなってきた。

言うまでもなく、イーストウッド最盛期の主演作は半数近くが西部劇。
スクリーンで何十人、何百人もの人を殺してきた暴力アクション系の
大スターとして認識されてきた。彼の最後の西部劇『許されざる者』
(1991年、アカデミー監督賞・作品賞受賞作)は、そんなヒーロー像
に対する訣別とも取れる内容で、その頃から「出演せずに監督だけ」
という作品も増え、それまでの「男の美学」的なテイストに加えて
監督の立場から「人生」を俯瞰で描くようになってきた。だから、
「女に彼の魅力など、わかるワケない」と勝手に思い込んでいる
昔からのイーストウッドのファンは、いまだに彼のタフガイ像を
追い求め、主演している監督作こそ彼の王道だと信じてやまない。
本当はその程度じゃ言い足りないんだけど、彼の作品を見る上で、
この点だけは最低、共通認識として押さえておいてほしいと思う。

とりあえず、イーストウッドが主演しているかどうかは別として、
『ミリオンダラー・ベイビー』の構成は『ミスティック・リバー』と
よく似ている。最初に人物がサッと紹介され、中盤は女性ボクサーと
老トレーナーが二人三脚でチャンピオンを目指す話で物語を引っ張る
(『ミスティック・リバー』は推理劇として展開する)……そのへん
の細かい描写は、原作者が本物のカットマン(止血師)だったので、
リアルなことこの上ない。ところが両作とも最後になって、それまで
の展開から予想されるテーマとは全然違う話だってことがわかる。
この構成力は、もはや名人芸の域に達していると言えるだろう。

ただし『ミリオンダラー・ベイビー』は、語り口が前作とは全然違う。



F・X・トゥール, 東 理夫
テン・カウント
原作は『テン・カウント』というボクシング短編小説の一編で、これに
他の短編の話を挿入して一本の脚本にまとめたのがポール・ハギスだ。
『ミリオンダラー・ベイビー』として発売されている本は、彼が構成し
直した映画のノベライズで、原作をかなり肉付けしたもの。最も大きな
違いは、原作にモーガン・フリーマンの役は存在しないということだ。



F.X. トゥール, F.X. Toole, 東 理夫
ミリオンダラー・ベイビー
しかし、当初サンドラ・ブロックのところに脚本が持ち込まれた時は、
まだモーガン・フリーマンの役はなかったものと思われる。なぜなら、
サンドラ・ブロックが自分で監督もしたいと言い出して、ワーナーが
これに難色を示し、主役候補が二転三転した時点でイーストウッドの
参加は決まっておらず、主役はあくまで女性だったと思われるからだ。

つまり、モーガン・フリーマンの役を加えることによって、何が一番
変わってしまうかを考えた場合、彼はイーストウッドの人物像を語る
相棒役として登場するため、そこで初めてフォーカスされる主人公が
完全に老トレーナーになってしまう点だ。しかも、彼の存在は二人の
物語を俯瞰の視点で語るナレーションの役割も果たしているが、実は
そのナレーションが最後の最後にモーガン・フリーマンの手紙の内容
だったとわかる。手紙の相手は、老トレーナーの人生の後悔の根源に
ある、劇中には登場してこない娘だ。老トレーナーは、返事が一通も
来ないにも関わらず、いつも自分の娘に手紙を書いている。おそらく
何らかの理由で決別したのだろうが、それが彼の人生最大の後悔の念
となって、毎週欠かさず教会に通って神父に答えを求めている--
そんな状況で出会った女性ボクサーとの話をモーガン・フリーマンが
消息を絶った父親に代わって「君の父親は、こういう人だったんだよ」
と、彼の娘に宛てた手紙の内容--それがこの物語だったことになる。

原作の小説は、ボクシング業界に携わっていた著者がその裏側にある
真実をリアルに描いているだけだ。それはそれで興味深く面白いが、
それをモーガン・フリーマンの視点で語るという奥行きのある複雑な
構造の話に変えてしまったことで炙り出されるのは、女性ボクサーの
「尊厳死」の問題ではなく、老トレーナーの人生と娘への愛情だ。

つまり、イーストウッドの演出は原作の女性ボクサーとのリアルな
やり取りをすべて会えない娘への愛情の表現に昇華させてしまって
いるわけだ。イーストウッドが監督に決まった後、それを指示して
ポール・ハギスに書き直させたと思うのは、そのためだ。原作には
ない役で助演男優賞を獲らせてしまうぐらい、その変更は成功して
いる。ポール・ハギスが脚色賞の候補どまりで、イーストウッドが
監督賞を受賞したのは、そういうことなんじゃないだろうか。



ポニーキャニオン
ミリオンダラー・ベイビー 3-Disc アワード・エディション



ポニーキャニオン
ミリオンダラー・ベイビー
この映画が『ミスティック・リバー』よりも遙かに好きなのは、
そんな完璧なるイーストウッドのための美学に貫かれた作品に
なっているからだ。しかも、彼が泣くシーンなど今までトンと
見た記憶がない。暗闇に隠れて、その顔はよく見えなかったが
……もし、それがイーストウッドでなかったら、こんなに好き
にはならなかった。彼が演じているから、総合評価★★★★★
なのだ。これがファンとしての結論。だから、
他人がどう思おうと、彼には主演男優賞をあげて欲しかった。

次回作『父親たちの星条旗』に、彼は出てこない。監督のみだ。
それでも、ポール・ハギスが原作『硫黄島の星条旗』をどう料理
してるか楽しみ!……しかも、この“硫黄島プロジェクト”は、
日本側から第二次大戦の硫黄島決戦を描く第2弾も撮影中で、
今月クランクアップの予定。『硫黄島からの手紙』という
タイトルで今年12月に公開される。主演は、渡辺謙。
イーストウッドが自ら指名した。他にも二宮和也、伊原剛志、
加瀬亮、中村獅童、そして裕木奈江も出演するらしい。
イーストウッドにとっては前代未聞の意欲作となる。




ジェイムズ ブラッドリー, ロン パワーズ, James Bradley, Ron Powers, 島田 三蔵
硫黄島の星条旗
南極物語
1983年公開当時、約59億円という配給収入記録を打ち立て、
『もののけ姫』がその記録を更新するまで十数年間にわたり
日本映画最大のヒット作の座をキープしてきた『南極物語』
(高倉健、渡瀬恒彦、夏目雅子、荻野目慶子他、出演)が、
ディズニーによってリメイクされ、3月18日に公開された。
全米では2月に公開され、既に90億円近く稼ぐヒットとなり、
評判も概していい。

オリジナル版は終戦後間もない昭和20年代の実話の映画化で、
リメイク版はそれを現代風かつディズニー風に焼き直している
が、基本的な展開はだいたい同じ。やむを得ない事情で南極に
「犬ぞり犬」たちが取り残され、極寒の夏(北半球でいえば、
冬のこと)をいかに生き抜き、ご主人様の人間と再会できたか
を描いた感動のドラマだ。が、細かい描写や人物設定等の印象
は随分と違う。

南極に犬が取り残されるまでの経緯は、ディズニー版の方が
うまく筋道立てた展開に練り直されていて、テンポがよく
説得力もある。それに対して、オリジナル版の方は、
あくまで実話に則しているせいか、そこに至るまで
のドラマ的設定がイマイチ弱い。

同じく高倉健主演で大ヒットした『八甲田山』もそうだったけど、
「ほとんど必然性の感じられない試練に意味なく放り込まれる」
といった感じだ。それはそうと、高倉健さんは『八甲田山』とか
『ぽっぽや』とか、寒々しい大地の雪の中に佇むイメージが
ホントよく似合う俳優さんだよネ。

オリジナル版は南極でロケしたせいか、本当に寒そうで暗い。
それに比べ、ディズニー版はカナダとスタジオで撮影されたせいか、
主演が『ワイルド・スピード』シリーズのポール・ウォーカー
というキャラのせいか、全体的に晴々とした青空の下、
日差しも明るく、ちっとも寒そうじゃない!!
……これなら猫でも生き残れそうだ(笑)

道理で、日本版ではタロとジロの2匹しか生き残れないが、
ディズニー版では、さすがに一匹殺すのが精一杯。
ほとんど生還して、ご主人様と感動の再会を果たす。
サバイバルのリアリティより、観客受けするドラマ性を
重視した監督は、『生きてこそ』や『コンゴ』を演出した
フランク・マーシャル。監督としてよりも、プロデューサー
としての実績の方が華々しい監督ならではの最大公約数的
演出が興行的にも好結果をもたらしたと言えるだろう。

その代わり、ディズニー版にリアルさを求めちゃいけない。
例えば、ヒョウアザラシの描写にも、その違いは顕れる。
ディズニー版では犬たちに襲い来る敵のような存在だが、
日本版では生きるための獲物としてアザラシを取り囲み、
食うか食われるかの非情な自然を描く映像になっている。

当然、ディズニー映画だから、それでいいのかも知れない。
が、現実には南極の6月前後は太陽がほとんど顔を出さない
(逆に南極の12月前後は白夜で太陽がほとんど沈まない……
ディズニー版は、そんな明白なリアリティも無視している)
闇の世界で、犬たちがオーロラに向かって吠える日本版は、
まるでドキュメンタリー映像を見ているかの如き、見事な
シーンもあった。そこにヴァンゲリスの例の有名な主題曲が
流れていたかどうかは忘れた(再会のシーンでは流れてた)
が、この音楽はオリジナル版のハイライトとも言うべき
素晴らしい出来だ。この音楽で、日本版は救われた。

それにしても、日本版はリアリティ重視でトーンが暗い。
そんな映画がなぜ、記録的な大ヒットになったかというと、
これは初めてフジテレビが映画製作事業に乗り出したという
経緯から、自局番組の中で昼といわず夜といわず毎日のように
『南極物語』のタロとジロをPRしまくっていたからだ。

当時、黒澤明監督はそんな状況に対して苦言を呈していた。
「最近は、動物と子供の話ばかりで、そんなのしか売れない。
日本映画は大人の人間の話を描かないと、いずれダメになる」
みたいなことをコメントしていた。実際、『南極物語』の興行
記録に次ぐ邦画のヒット作は、長らく『子猫物語』だった。


で、どっちが面白かったか?……動物と人間の愛情ドラマに、
リアリティのある実話の迫力を求めたいなら日本版、単純に
エンターテイメントとして楽しみたいならディズニー版、
といったところか。総合評価は、どちらも★★★



ポニーキャニオン
南極物語



ポニーキャニオン
フジテレビDVD THE LEGEND BOX

……いい勝負かな。でも、
個人的にはディズニー版の方が好きだ。
やっぱり、映画は楽しい方がいい!(笑)

emily rose

王JAPAN、野球世界一おめでとう!
荒川静香の女子フィギュア初の金メダルに続いて
今年二つの目の国民的ビッグニュースだね!

これは、すぐにでも映画化してほしい話。
実話じゃなかったら考えられない奇跡的展開といい、
内容的にもいろんな要素、切り方ができるはず。

最近はWBCのことで頭がいっぱいになって、
映画の話がトンと御無沙汰になっちゃった。

というわけで、実話ならではの「考えられない話」の凄味が
堪能できる劇場最新作『エミリー・ローズ』について。

昨年、全米で初登場1位となった話題作『エミリー・ローズ』は、
悪魔祓いによって死亡したとされる19歳のアメリカの女子大生が
本当に悪魔にとり憑かれて死亡したのかどうか、裁判で争われた
という実話の映画化だ。

訴えられたのは、エミリー・ローズの両親から依頼を受けて
キリスト教会から派遣された悪魔祓い師(エクソシスト)。
その神父が医者の処方する薬を一切やめさせた結果、彼女は
死んだのかどうかが焦点となる裁判劇で、その合間に随所で
挿入される生前のエミリー・ローズの描写が思っていたより
怖い。裁判劇と思って余裕で見てると、オカルトホラー的な
怖さに縮み上がるぞ。もちろん、実話なので大げさなホラー
描写は少ないが、これが本当の話かと思うと迫力が違う。

神父の弁護人を引き受ける主人公に扮するローラ・リニーと
舞台で共演し、彼女の推薦でエミリー・ローズ役を射止めた
ジェニファー・カーペンターが、悪魔にとり憑かれたように
上体を反らしている姿を使った日本のTVスポットCMは、
「悪魔のイナバウアー」(本来のイナバウアーとはまったく
意味が違います)として深夜枠中心に放映され、賛否両論の
大反響。いったんは「怖い」と抗議殺到したことから放映は
中止されたが、そのことでさらに話題となって盛り上がり、
再び「悪魔のイナバウアー」TVスポットは復活したらしい。

弁護士役のローラ・リニーは、オスカー候補にもなった演技派。
『ラブ・アクチュアリー』の独身OL役も良かったけど、最近は
『ミスティック・リバー』でショーン・ペンの奥さん役、さらに
『目撃』ではクリント・イーストウッドの娘役と、オスカー監督
イーストウッドの信頼も厚いようだ。しかし、彼女を最初に認識
した映画『真実の行方』(1996年、エド ワード・ノートンの出世作)
は、リチャード・ギア扮する弁護士と対決する冷徹な検事役で、
やっぱり裁判劇。彼女には、そんな知的な役柄がよく似合う。
まさにピッタリの適役。



パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
真実の行方


(以下、ネタバレ注意!)

どこまでが真実の話で、どこまでが演出なのかはよくわからないが、
悪魔祓いに立ち会った医師(彼は証言を前に自動車事故で死亡!)
が録音した現場のテープは実在のもの。また、エミリー・ローズが
自ら死を選んだ理由が明かされる手紙の内容から、彼女を「聖人」
として推挙しようとする動きがあるのも事実だ。

しかし、裁判の結果は有罪。無罪とすれば、悪魔に殺されたことを
認める判決となるため、それは無理だったのかもしれない。けれど、
判決まで獄中にいた期間を刑期として、実質無罪放免になるという
灰色決着の結末も実話なの???

この裁定には、唖然とした。白黒ハッキリさせたがるアメリカで、
こんな出来すぎな結末は普通、考えられない。まるでドラマ的オチ。
実話なのかもしれないけど、あまりに突飛な裁定だけは真実の迫力が
なかったな~。やっぱり悪魔が絡むと、さすがのアメリカ人も白黒
ハッキリつけられないのかな。っていうか、そもそもそんな事件を
法的に裁こうとした国選検事(?)側の意図がイマイチ不明瞭……
売名行為?……エミリー・ローズの両親がエクソシストを訴えた
というならわかるけど、彼らは神父を応援する側だったし、
結構「余計なお世話」的な裁判だったわけ?…(笑)

確かに、悪魔祓いが近年、増加している現実に目を向けさせた、
という意義は大きかったかもしれない。昔からアフリカなどの
土着部族民の間では、悪魔祓いは日常的にあったらしいが、
実はここ10年間で悪魔祓いの依頼は10倍に増えているらしい。
そのため、カトリック教会では正式に公認エクソシストを任命し、
ニューヨークだけでカトリック司祭が正式調査した悪魔憑きは、
過去10年で40件もあるという。真実は恐ろしい。

それを娯楽のように商品化して見せるアメリカ人の商魂もまた
スゴイものがある……今や実話は、金儲けのネタ?(笑)
……そう思ってみると、そんなに怖くなくなるかな。
それが最後に実話の迫力を削いでる気がする。
というわけで、総合評価★★★

誰か、早く「王JAPAN」の感動実話を映画化しようよ!
何なら私が脚本を書いてもいいですよ!(笑)
イチローじゃないけど、こんなに「最高に気持ちいい」
気分になったのは久しぶりだ。もちろん、これは昨日
行われた第一回WBC(国別対抗野球)準決勝で、
日本が6対0で絶好調の韓国に勝利したからだ。

そんなことで一喜一憂するなんて、と思われる人は、
もう少し世間の話題に目を向けた方がいいでしょうね。

事実、昼間のTV放映ながら、平均視聴率36.2%(関東)は、
今年テレビで放映された全番組の中でトップの数字。瞬間最高
視聴率50.3%は、昨年暮れの紅白歌合戦の最高視聴率をも上回る。
つまり、国民の半数以上(6000万人以上)がまっ昼間のその時間、
テレビで日本の勝利に酔いしれ、大喜びしていたのだ。
まだ優勝もしてないのに、新聞の号外も出た(笑)!

まさに国民の最大関心事として、野球が復活した瞬間だ。
やっぱり、日本は最高の野球をしている国の一つだった、と
証明されたことが何より嬉しい。韓国の大健闘も、彼らのレベルを
猛烈に世界にアピールできたことで、十分に韓国民を満足させた
ように見える。兵役免除も達成されて、選手も結構、満足気だ。

これでイチローの不満、国民の不満は、一時的にせよ、
一気に解消された。個人的にも、子供の頃から阪神タイガース
の大ファンだったので、昨年の日本シリーズ4連敗に始まり、
格下の韓国(日本の高校野球部4000校に対し韓国は50校しかない)
に2連敗するなど、ここ最近の野球に関する話題は
気分悪いことこのうえないものばかりだった。
だから、こうなるのを心待ちにしていた。

こうなれば、明日のキューバとの世界最強野球国決定戦も神様が
ご褒美をくれるだろう。「怪物」松坂が勝利をもたらすだろう。
実際、松坂はアテネ五輪でキューバを8回まで無失点に抑えた。
今回のキューバ打線は当時とほぼ同じメンバー。プロが戦えば、
アマチュア最強のキューバなど問題じゃないな、という印象が、
アテネ五輪の時からある(が、日本はこの時、準決勝でメジャー
リーグ経験者と日本プロ野球経験者混成チームのオーストラリア
に敗北し、キューバがオーストラリアを破って金メダル。日本が
決勝に出てれば勝ってたはずだが、不満の残る銅メダルだった)
……明日の決勝戦、200人ものメジャーリーガー参加者のうち
出場できるのは、イチローと大塚の二人だけだ。おそらく主催国
アメリカは、全員メジャーリーガーの米国対ドミニカの決勝戦を
期待していたに違いない。ところが、最近の国際紛争問題同様、
なかなか予定調和のディズニー映画のように、米国の思惑通りに
運ばない「神のシナリオ」は一体、何を意図しているのだろうか?

答えは明白。WBCが今後発展するうえで、今回のシナリオは、
メジャーリーガーにとっても真剣勝負しないと勝てない大会だと
認識させる効果が計り知れない。実際、米国だけでなくドミニカ
だって、レッドソックス優勝時のMVP=ラミレスやメジャーの
エース=ペドロ・マルネネスが不参加だった。これでは、とても
真剣とは言えまい。その結果、開催国でさえ全国ネットでテレビ
放映されないほど、当初は皆の関心が低かった。審判の件では、
いい加減なビジネスライクの運営方法も露呈した。

そうやって神のシナリオを読み解くと、今回の第一回WBCの
最大の功労者は、二度までも「世紀の大誤審」を犯して、一躍
「時の人」となったボブ・デービッドソン審判しかいない!

日本でも米国でも、彼の誤審からWBCの問題点が浮き彫りと
なり、世間の関心が一気に高まったといっても過言ではない。

メジャーリーグが最高の舞台ではない、とアメリカに認識させる
意義深~い大会となったのは、ボブ、君のおかげかもしれない。

これで次は、メジャーリーガーも米国も真剣に参加・運営する
だろう。ゴジラも井口も城島も……世界の人々が愛する野球の
将来に光が差してきたた感じだ。第二回大会は、三年後らしい。
もう今から楽しみで仕方がない。視聴率は何%になることやら…。

きっと神は、最後に決勝でメジャーを含むプロの誇りと意地を
祝福してくれるのだと思う。そういうシナリオに見える。
なぜなら、そうなることによってのみ、第一回WBCの
これまでの劇的な展開が後世に語り継がれる伝説と
なり得るような気がするからだ。あきらめないこと、
負けてもベストを尽くすこと、友好的であること……
今回の日本チームはいろんなことを教えてくれたはずだ。
神のシナリオは、本当に深遠だ。

ちなみに、私はキリスト教徒じゃありません。
ここでいう神とは、やおよろずの神でも何でもいい、
ジョン・レノンの言う神(=コンセプト)と理解されてもいい。
奇跡を含む「自然法則の摂理」みたいなものとご理解ください。

クリスチャンの方、宗教論議はしたくないので、
何卒ご容赦ください…(笑)

(続報)
日本はキューバを倒し、初代世界チャンピオンになりました!!
おめでとう!!
これが映画の台本だったら、すごいもんだ。想像を絶する展開!
「日本準決勝進出!」の駅売り新聞記事を見て、夢かと思った。
昨日、韓国に1対2で二度目の敗戦を喫して99%二次リーグ敗退
と思われた第一回WBC(国別対抗野球)に、奇跡が起こった。

なんとまあ、年俸170億円軍団の世界最強アメリカチームが、
メキシコにまさかの1対2で敗戦、日本の準決勝進出が決定した
というのだ。しかも、日本対アメリカ戦で問題となった審判が、
また塁審でメキシコのポール直撃ホームランを誤審して2塁打に
した、というオマケ付き。もう、驚きを通り越して呆れるばかり
……そればかりか、日本に敗れたメキシコは、この試合の前日、
二次リーグ突破が絶望的なことから皆でディズニーランドへ遊び
に行ってたらしい。そんなチームに341勝投手クレメンス先発
のアメリカが負けるなんて、誰が思っただろうか。

もうメチャクチャだ。何がなんだか、ワケがわからない。
昨日、日本が韓国に負け、自力で準決勝進出が可能になった米国
の監督は、「ありがとう韓国」とコメントしていたらしいが、
今度は王監督が「ありがとうメキシコ、こんなに嬉しかったのは
最近ない」とコメント。メキシコチームは国旗を掲げて、まるで
優勝したような韓国みたいに球場でウィニングランしたという。

勝利の女神は、尋常ではないドラマを用意しているらしい。
こりゃ、ドラマの台本では不可能。これだから野球はわからない。

そのツケで、野球大国アメリカの威信は粉々に砕け散った。
審判の問題も含め、次回の運営方法に真摯に取り組め、と
神様が言っているのだろう。いよいよ物語は最終章に入る。

というわけで、準決勝は再び日本対韓国。三度目の対決だ。
予選から6連勝と勢いづく韓国に、果たして日本は勝てるのか?

日本戦勝利の記者会見で韓国の監督が、記者団にこう話している。
「日本なら代表チームを3つも4つも作れるだろうが、韓国では
もう一つできるかどうか。実力的にはまだ日本の方が上」……
そんな格下と見られた韓国に、なぜ日本は勝てなかったのか。
もっと言えば、実力的には世界一であるはずのアメリカがなぜ
勝てなかったのか。理由は同じところにあるような気がする。

王監督は「相手の執念が上回った」とコメントしていたが、
「韓国にあって、日本にないものは?」と問われたイチローは、
「何でしょうねえ…(15秒の沈黙の後)、それがあると思えない」
と答えていた。現場のプレイヤーにはわからないことでも、
周囲から見ていて感じることが一つある。

上述の韓国代表監督のコメントにもあるように、韓国はできる限り
の最強チーム編成で万全を期して大会に臨み、国内の関心も非常に
高かった。事実、日本に勝って大統領からも祝電が入ったという。
逆に日本が勝ってたら、総理大臣から祝電が入ったか?…明らかに
答えはノーだ。アメリカも同様。そこまで国を挙げて取り組んでは
いない。日本に勝って、国旗をマウンドに掲げた韓国。日本では、
それを「マナーが悪い」という意見も、いくつか読んだ。確かに、
日本は韓国に勝っても、国旗をマウンドに掲げることはしなかった
だろう。でも、それは「マナーがいいから」じゃない。それだけ、
韓国は国を挙げて真剣に取り組んできた、という証なのだと見る。

もちろん、選手はどの国も真剣だったろう。しかし、周囲の関心が
イマイチな米国と日本が韓国に負けたのは当然だったとも言える。
ちゃんと神様は見ているんだよ!

ベスト4に入れば兵役免除というニンジンをブラ下げ、韓国議会で
その約束が果たされることも決定的になった、という影響があった
にせよ、それ以前に国を挙げて取り組んだ周囲の真剣さに、米国も
日本も遠く及ばなかったように思う。米国は特にそうだ。WBCの
試合は全国ネットで放送もされず、佳境のバスケット(NBA)を
中継をしていたというのだ。日本もまたサッカーのワールドカップ
と比べると、国民の最大関心事とまでは盛り上がっていなかった。
日本の野球代表チームは、いつもそうだが、そこそこベストだけど
完璧なドリームチームじゃない。米国代表チームも同様。例えば、
サッカー選手なら日本代表チームに入らなかっただけで落ち込む。

野球はどうか。ゴジラや井口や城島だけではない。代表に選ばれず
落ち込んだ選手なんて、果たしていたのだろうか。代表に選ばれた
人に、「ご苦労さん。じゃ、これからシーズンの本番だからね」と
いった同情的なコメントがせいぜいで、「オレが出てれば勝った、
なんでオレを出さないんだ!」なんて選手は一人もいない。特に
米国は、そこそこのベストな選手を選んで「負けるはずがない」と
過信していた。代表のプライドは個々のもので、国民的ではない。

この差は歴然だ。スタート時点から、もう選手のモチベーションが
全然違う。いくらイチローが発破をかけても、根底にはそうした国
を挙げての真剣さがない。イチローの怒りは、おそらく敗戦に向け
られたものだけではなかったようにも思える。その国の半端な応援
の状況に対して、という部分が多少なりとも含まれていると思う。

代表で出場している里崎智也捕手(ロッテ)が、「がけっぷちから
救われた感じ。野球界のため、WBCうんぬんではなく、一野球人
として負けるわけにはいかない」と、準決勝に向けてコメントした。
代表選手には酷だが、今度、負けたら本当の実力が問われる。
イチローの言葉ではないが、「今後30年間の日本の野球人気が
次の準決勝(韓国戦)で決まる」かもしれない。それぐらい大事な
試合だと認識してのコメントだろう。モチベーションが国内に向け
られると日本も強い。少し風向きが変わってきたような気もする。

おそらく、韓国首脳陣は「また日本とやるのか」「そろそろ負ける
かもしれない」と気を引き締めてくるだろうが、もし「また勝てる」と
韓国選手が過信していれば、チャンスだ。兵役免除も達成されて、
韓国選手のモチベーションは一段落しているはず。誤審の問題も、
日本での関心に一役買った、と前向きに解釈すれば、勝利の女神
の「奇跡の台本」は、日本を主人公にするかもしれない。少なくとも
優勝したら、小泉首相に祝電を打ってもらいたい。それが日本優勝
の絶対条件だ、と脚本家なら(勝利の女神も)考えるに違いない。

日本、世界一へ!!(WBC奇蹟のシナリオ)
多くの問題を抱えたまま第一回の開催となった国別対抗野球
=WBC(ワールド・ベースボール・オブ・クラッシク)で、
日本のプロ野球とメジャーリーガーの代表が初めて真剣勝負を
繰り広げる、そんな心待ちにしていた歴史的な試合を昨日、
5時半に早起きして、「途中まで」堪能した。

事件は日本時間の13日午前8時半頃起きた。
同点で迎えた試合の終盤、一死満塁から犠牲フライで
日本が決勝点をもぎ取ると、米国チームから審判にクレーム。
塁審はセーフのジャッジ、そこで米国の監督は球審に詰め寄る。
球審は塁審を呼んで一方的に話を始めると、突然「アウト」を宣告。
いとも簡単に判定が覆った瞬間、球場の観客はワーッ!と大歓声。
米国の監督はガッツポーズ。当然、納得できない日本の王監督は
通訳を連れて球審に抗議するが、その間、観客は大ブーイング。

結局、抗議は認められず同点のまま試合再開。
そこでテレビのスイッチ切って、仕事に出かけた。
もう試合の結果は見えていた。予想通り、
日本はアメリカにサヨナラ負けした。

その後、この事件の詳報から、いろんなことが初めてわかった。
世界最高の選手が初めて集まる野球の世界大会だっていうのに、
審判は日本の2軍に相当するマイナーリーグの審判だったこと。
審判4人のうち、球審をはじめ3人がアメリカ人審判だったこと。
この球審は、スタンドプレー好きでメジャーリーグの審判を解雇
されていたこと。ロッテのボビー・バレンタイン監督が、
「あの審判は、まだやっていたのか。ひどい判定だ」
というような感想をもらしている記事も見た。

実際、この問題のシーンは現地で繰り返しリプレイ放映され、
「判定を覆したのは、誤審だった」と全米各紙も伝えている。
朝鮮日報などは、「米国の厚顔無恥な詐欺劇」とまで報じた。

しかし、試合の結果は覆らない。ただ、それ以前の問題として、
国際試合でアメリカだけが自国の試合を判定するというルール、
しかも審判のレベルが世界最高のレベルの大会に相応しくない、
いわば二流の人たちで構成されていること、さらに対戦カードも
含め、これらすべてをアメリカが勝手に決めたものであること。

これだけ問題だらけの見切り発車では、事件は起こるべくして
起こったと言わざるを得ない。これがサッカーなら国際問題だ。
米国が逆の立場だったら、ボイコットまでしかねないだろう。
日本が当初、出場に難色を示していたのも頷ける。
あまりにもアメリカが勝手に一人で事を進め、
思惑通り展開するように最初から基本線を定めていたからだ。
その線に沿わない展開が起こるとルールを都合よく変更して
正当性を強調する。これがいつものアメリカのやり方。
イラクへの戦争を始めた経緯も非常によく似ている。

米国の監督は、問題のタッチアップの際、「野手が捕球した時、
走者は5歩も6歩もベースから離れたところを走っていた」と
コメントし、正当性を主張した。が、再生ビデオを見れば、
それが単なる「思い込み」であったことは明らか。

まるで、「イラクは大量破壊兵器を持っている」と主張して
イラクに戦争を仕掛けたブッシュ大統領のように見えた……
(結局、そんな大量破壊兵器は、いまだ見つかっていない)

先日ここで紹介した『ミスティック・リバー』が公開されたのは、
そんなイラクへの戦争をちょうどアメリカが仕掛けた時期だった。
娘を惨殺されたショーン・ペンの激しい怒りと悲しみの演技には、
誰もが一時は共感し、あるいは報復は当然と思った人もいただろう。

しかし、あまりにそうした激しい「思い込み」の強さから、
報復する相手を間違え、なおかつ間違えて殺したことに対し
反省するでもなく、結局、真実をうやむやに葬ってしまう。

それは、まるで9.11の同時多発テロの報復として
イラクを攻撃した米国の今の姿、そのもののように見える。

しかも、アカデミー主演男優賞、助演男優賞をW受賞した
ショーン・ペンとティム・ロビンスは、ともにリベラルで
過激な反戦思想を主張する、時の政府(共和党支持者)に
とってはブラックリスト扱いの問題発言者だったから、
余計に米国では政治的主張のニュアンスが色濃い映画として
『ミスティック・リバー』は捉えられていた。もちろん、
クリント・イーストウッド監督が、そういう政治的な主張を
展開するために撮った映画なのかどうか、本質はわからない。

確かなことは撮影中、イーストウッドが演出について何度も
ショーン・ペンに相談していたということだ。普通に考えたら、
年齢的にも監督のキャリアから言ってもスターの格から言っても、
それは考えられないこと。一体、何を相談していたのか、
あまり深くは語られていない。

ただ当時、世界を騒がせていた事件をまったく意識していなかった、
とは言い切れまい。おそらく、そうした政治的な意味合いとも取れる
内容をどこまで出すべきか、あるいは抑えるべきか、そのバランスを
ショーン・ペンと相談していたのではないだろうか。

前々回、『ミスティック・リバー』の内容について書いた時は、
そうした当時の世の中の背景には一切触れず、時代と切り離して
テーマの本質だけを書いたつもりだった。背景など語らずとも、
硬派なテーマの映画として十分に魅力的だと考えていたからだ。

けれど、昨日のまるで茶番劇になりかねない米国主導の世界最強
野球国を決する初の大イベント運営を見ていて、あまりにも
アメリカ的なところがイラク攻撃の経緯さえ彷彿とさせ、
そんなアメリカ的体質にクギを刺すかの如く登場した
『ミスティック・リバー』の時代背景も紹介した方が、
政治的意図が実はあったにしても、なかったにしても、
この映画をより深く楽しむことができるかなあ、と
やはり思ったので、今回は付け足し記事とさせていただきました……
(だって、コメント欄では書き切れない長さでしょ?)

brokeback mountain

第78回アカデミー賞候補作が発表されてすぐ、受賞予想を
主要8部門のみ、本命◎、応援している対抗馬△、で表記し、
「アカデミー賞予想は、作品を見てなくてもできる!」
「自分も毎年、主要部門は確実に半分以上、当てている!」
「そんなに難しくない」と、豪語してから約1カ月…。

日本時間の3月6日、授賞式が行われ、結果が発表された。
だいたい予想通りだったけど、皆さんの予想は当たりましたか?

まずは、勝手な総評と個人的な感想から…。

今回は派手な大作が少なく、社会派の問題作が多かったせいか、
デカプリやイーストウッドらがいた昨年の授賞式と比べると
客席も地味めで、総合司会も日本人には馴染みの薄い地味な
TV系の人(?)ということで、全米視聴率も前回より8%も
落ち込んだらしい。授賞式も「粛々と進められた」って感じで、
大きな盛り上がりもないまま最後の作品賞発表となった……
が、最後の最後に会場が予想外の大興奮に包まれた!

その直前、監督賞のプレゼンター、トム・ハンクスが最多8部門
ノミネート作『ブロークバック・マウンテン』のアン・リー監督に
オスカー像を手渡し、作品賞も同じかな、と誰もが思っていた。
なぜなら「監督賞を受賞した映画が作品賞にも選ばれる」という
パターンが過去の例を見ても圧倒的に多いからだ。

ところが最後のプレゼンター、ジャック・ニコルソンが登場すると、
初めて会場が異様なムードに様変わりした。そう、これがいつもの
アカデミー賞授賞式だ!……そして、いつにもましてシワ枯れ声の
ジャック・ニコルソンが、受賞作を読み上げる。衝撃が走った。

「ぐらぁ~しゅ」(そして、ニヤリ……ジョーカーの笑顔でした)

その瞬間、「えっ?」と思わず声をあげてしまった。会場でも、
あちらこちらから絶叫がこだましていた。プロデューサー兼任の
ポール・ハギス監督が脚本賞受賞に続き、再び壇上に上がる。
受賞作『クラッシュ』と同様、奇跡が起きたようだった……。

実は、6部門ノミネート中、編集・脚本・作品の3部門で受賞
した『クラッシュ』は数日前、「2005年の最も俗悪な作品」に
選ばれたと報じられていた。この選定基準は、猥褻なシーンの
数とセリフにおける俗悪な言葉の数の合計で、最も多い作品が
選ばれるというもの。まるで『クラッシュ』を選ばないよう、
投票者を牽制しているかの如きタイミングで発表されたので、
このニュースをネットで見た時、やっぱり『クラッシュ』には
相当な逆風が吹いているなあ、と思った。

決して、「大穴」候補が受賞したから皆、驚いてるんじゃない。
上述のような理由で大本命の圧倒的有利が不動のものになった、
と皆が感じていたから驚いたのだ。そこんとこを勘違いして、
「大穴」が受賞した、なんて書いてる記事をいくつか見たが、
とんでもない勘違いだ。最初から『クラッシュ』は、明らかに
『ブロークバック・マウンテン』の最大の対抗馬だった。

もう一つ。同性愛を描いた『ブロークバック・マウンテン』が
作品賞を受賞しなかったというだけで、「ハリウッドは保守的」
などと、知ったようなことを書いてる記事もいくつか見た。が、
上述のように『クラッシュ』は、昨年の「最も俗悪な作品」に
選ばれているほど、保守的な人には抵抗の強い描写が多い作品。
決して保守的な内容の話じゃない。思い込み違いも甚だしい。
ちゃんと『クラッシュ』を見たんか!…と言いたくなる。多分、
ミスティック・リバー』のことも勘違いしてるんだろうな。

ちなみに『ブロークバック・マウンテン』は、監督・脚色・作曲
の3部門受賞。『SAYURI』も撮影・美術・衣装デザインの
3部門、『キングコング』も録音・音響効果・視覚効果の3部門
で受賞した。作品・監督・助演女優・脚色などで多数ノミネート
されていた『カポーティ』は主演男優賞のみ、スピルバーグ監督
の『ミュンヘン』はゼロだった。また、群衆劇を得意とする監督
ロバート・アルトマンが名誉賞を受賞したのも、もしかしたら
『クラッシュ』勝利の予兆だったのかもしれないネ!

では、主要8部門の受賞結果と個人予想の戦績を発表します!

■作品賞:『クラッシュ』…応援対抗馬△だったので、引き分け?
■監督賞:アン・リー(ブロークバック・マウンテン)…◎、的中!
■主演男優賞:フィリップ・シーモア・ホフマン(カポーティ)的中!
■主演女優賞:リース・ウィザースプーン(ウォーク・ザ・ライン/
       君につづく道)…これも応援対抗馬△で、引き分け?
■助演男優賞:ジョージ・クルーニー(シリアナ)…大ハズレ!
■助演女優賞:レイチェル・ワイズ(ナイロビの蜂)…◎、的中!
■脚本賞:ポール・ハギス、ボビー・モレスコ(クラッシュ)的中!
■脚色賞:ラリー・マクマートリー、ダイアナ・オサナ
     (ブロークバック・マウンテン)…アテ勘で◎、的中!

 戦績は、5勝1敗(2引き分け)……悪く捉えても、5勝3敗で、
「毎年、確実に半分以上は当てている」の公約は果たせました(笑)

……が、少し言い訳。主演女優賞は、どちらを本命予想とするかで
迷ったんだけど、あまりよく知らない女優を「応援したい対抗馬」
に挙げることができなかったため、本命候補二人のうちの知ってる
方(リース・ウィザースプーン)を応援したい対抗馬とし、本命を
ハズしてしまったというワケ……最も悩んだ助演男優賞は、途中で
「本命を変えたくなった」と弱気のコメントをしていた通りの結果
予想記事のコメント欄参照=笑)となってしまいました!

でも、作品賞だけは、言い訳するまい!(笑)

やったね、『クラッシュ』! おめでとう、ポール・ハギス!
次は、また『ミリオンダラー・ベイビー』のコンビ復活で
クリント・イーストウッド監督作品の脚本。楽しみだね!
ショーン・ペン
『クラッシュ』での映画君のコメントを読んで、どうしても
『ミスティック・リバー』(2003年)について書きたくなった。
なぜかというと、イーストウッドのことが好きな井筒監督でさえ、
この映画のこと、ちゃんと理解されていなかったから…。
深夜テレビの「こちとら自腹じゃ」コーナーでは、
3点満点の採点で、★★(二つ)付けているにもかかわらず、
「こんなラストで、ええんか?」みたいなことを言ってた…(笑)。

そればかりか、この映画に対する紹介や感想を読んで、ほとんど
満足できる解説にお目にかかったことがない。「珍しい映画」だ。

なかには「理解不能、共感不能」なんて書いてる人もいた。
ある意味、素直でいいかもしれないけど…(笑)。

欧米での評論は、ちゃんと読んだことがないが、極めて評価が高い。
一方で観客の反応は、極端に賛否が分かれている。それでも、
クリント・イーストウッドが出演してない監督作においては
最大のヒット(全米興収9000万ドル)となった映画だ。まあ、もちろん、
これだけの役者を揃えてアカデミー主演男優賞(ショーン・ペン)、
助演男優賞(ティム・ロビンス)を受賞し、作品賞・監督賞・脚色賞、
さらに助演女優賞(マーシャ・ゲイ・ハーデン)の6部門でオスカー
候補となったのだから、当然といえば当然なのだが、前述のように、
多くの観客にきちんと理解されている映画とは決して言い難い。

なかには理解不足を棚に上げて「愚作」とか「娯楽映画」とか書いてる
人もいたし、ティム・ロビンス演じるデイブが可哀相すぎる、と嘆く人も
少なくなかった。確かに、少年時代の一件からしてデイブの人生は
「可哀相すぎる」と思うが、後味の悪さも含め、それが演出意図だ。
問題は、それが何を描いているかってこと……(そのことを満足に
書いてる人がほとんど見当たらない。あなたは理解してますよね?)

少年時代のトラウマの影響を描いた映画か?……正確には全然違う。
では、親友3人のその後の友情を描いた映画?……それも少し違う。
では、単なる犯人探しの娯楽ミステリー映画?……明らかに違う。
確かに、この映画は犯人探しの推理ドラマの形で物語を見せている。
それが映画のヒットには不可欠だったろう。しかし、テーマは別だ。
だって真犯人が誰だったかなど、忘れてしまっても問題ないぐらい、
『ミスティック・リバー』では、ちっとも重要じゃなかったでしょ?

(以下、ネタバレしてます。見てない人は注意してください!)

では、オープニングシーンから、順を追って見ていこう。
少年時代、親友3人のうち、デイブだけがゲイに連れ去られ性的虐待
を受ける。そのことは、お互いタブーの話として3人は大人になる。
実はここからして、イーストウッドの壮大なダマしが始まっている。
ただし、それは真犯人を勘違いさせる、という意味の演出じゃない。
「オープニングシーンは不要」などと書いてる人もいたが、まったく
この映画をわかってない証拠だ。

映画の前半のエピソードは、実はすべて観客の既成概念や思い込みを
助長させるための仕掛けでしかなく、その最も象徴的シークエンスが、
ショーン・ペンの一人娘が惨殺され、その夜のデイブの行動が不審な
ことから少年時代の忌まわしい記憶が観客に蘇ってくるという展開だ。

娘の惨殺現場のショーン・ペンの激しい悲しみの演出が尋常じゃない
……イーストウッドにしては珍しく、確か俯瞰のハイスピード撮影で
警官にモミクチャに制止されるショーン・ペンをご丁寧に映し出す。

これでもう、すっかり観客はダマされる。実際に娘がいる井筒監督も
そうだった(笑)。「すごい剣幕やね…」「昔のトラウマっていうのは
必ず人間性に影響するもんなんや…」と、映画を見ながら井筒監督は
得意気に解説していた……それは、まさにイーストウッドが意図した
演出の通り勘違いしていく人の反応に他ならない。つまり、実際それ
は見ている人の既成概念に過ぎないからだ。いわゆる、思い込みだ。

イーストウッドの演出は、そうした観客の思い込みの上に、さらに
「これでもか、これでもか」と勘違いを固定概念化させる、ダマシの
セリフやシーンを入念に散りばめていく。以下がその展開だ。
この事件を担当する刑事がもう一人の親友だったケビン・ベーコン。
相棒がローレンス・フィッシュバーン。相棒はデイブの過去を暴き、
彼が怪しいと睨む。デイブの妻(マーシャ・ゲイ・ハーデン)さえも
夫の過去の秘密を初めて知り、夫が信じられなくなる。そして、夫の
親友だったショーン・ペンに、デイブが事件の夜、血だらけで帰宅し
たことを告白する。ショーン・ペンは犯人がデイブだと確信し、報復
を決行する。少年時代の事件が「もしデイブじゃなくて自分だったら
立場が逆だったかも」と、彼がケビン・ベーコンと何度も話し込むの
も、観客の勘違いを固定概念化させるためのダメ押し的演出だ。残る
ストーリーで重要なのは、デイブが犯人ではない、という点だけだ。

結局、デイブはショーン・ペンに殺され、その後、真犯人が判明した
のに、ケビン・ベーコンはデイブの殺人事件とすることで=これ以上
親友を失いたくない、という私的な判断で、真実を闇に葬って終わる。

それで、井筒監督のように固定概念がすっかり出来上がっている人に
とっては、とんでもなく納得できない結末になってしまうわけだ。

しかし、頭の柔らかい純粋な心の人なら、そこで何が描かれていたか
気がつくことだろう。つまり、「あなたの思い込みは真実ではない」
って話なんだね。『クラッシュ』とテーマは同じ、と前回書いたのは、
そういう意味だったんだけど、描き方がまったく違う。こちらの方が
推理ミステリーの形で、はるかに辛い現実を突きつけるから暗くなる。

人間は自分の知ってる既成概念の中で、勝手に真実はこう、と決めつけ
ているケースが多い。ところが、その通りでない現実を突きつけられる
と、にわかに納得できず困惑する。井筒監督の反応がまさに、それだ。

だからイーストウッドの演出は、観客を勘違いさせないと成功したとは
言えないし、その意味では成功しているんだけど、あまりにその演出が
入念でしつこ過ぎた(笑)のか、ダマされて納得できないまま見終えて
しまった観客も多くいた(テーマがちゃんと伝わらなかった)。そうした
意味では『クラッシュ』ほど成功してないとも言える。微妙なんだな。
そのバランスを取るのが非常に難しかったと思う。別の見方をすれば、
映画自体より、それを見た観客のいろんな反応や感想の方が
ずっと面白い?…かもしれないね(笑)……総合評価★★★★

この映画は極めて原作に忠実だが、ラストだけがちょっと違う。原作は
ケビン・ベーコンの刑事がショーン・ペンに対してかなり非難するし、
ショーン・ペンの妻(ローラ・リニー)も真実を知って夫を殴る。が、
映画はそこを描かず、どこまでの人が真実を知ったのかどうかも
判然としない。それで、映画の方がより一層、「現実は闇に葬られ、
表面に出てこないこともある」「真実は皆が知っている現実とは違う」
という人間世界の悲しい不条理を強く打ち出し、極めて硬派なテーマを
扱った話になっている。まさに、『ミスティック・リバー』のタイトルそのもの。

この脚本を書いたのは、大好きな『ロック・ユー!』や『ペイバック』
の監督・脚本家のブライアン・ヘルゲランド。イーストウッドが主演、
監督した『ブラッド・ワーク』(2002年、総合評価★★★★)も彼の脚本。
今、一番好きな脚本家の一人だ。

それでも納得できない方のために、この話の続きはコチラから!!



ワーナー・ホーム・ビデオ
ブラッド・ワーク 特別版



ワーナー・ホーム・ビデオ
ミスティック・リバー 特別版 〈2枚組〉



デニス ルヘイン, 加賀山 卓朗
ミスティック・リバー
crash2
今回は、映画三昧ブログ開設1周年記念!
というわけで最近、1週間以上も更新できなかったこともあり、
この1年間の反省と自戒をこめて『クラッシュ』について書こう。

コレ、今回のアカデミー作品賞候補5本の中で唯一見ている映画。
オスカー予想とは別に、とても応援したくなる、いい映画だった。

全米では昨年5月(日本では2006年2月11日)に公開され、
5500万ドルを稼ぐ中ヒットを記録したLAが舞台の現代劇だ。

人種偏見についての映画、と一言で片づけてしまうのは、
サンドラ・ブロックなどのパートを見れば間違いではない、
といえるけれど、この映画の良さが半分も伝わらないだろう。


実は昔、私は夢の中で、まったく知らないアカの他人を
しょっちゅう殺していた……。理由はよくわからないけど、
たいがい電車の中とかで超ムカつく奴がいてボコボコにしたり、
線路に突き落としたり、たまたま車を運転中に飛び出してきた
人を轢き殺してしまったり……なんてことも時々あったかな。

問題は、その夢の結末。なぜかいつも同じパターンだった。
自分にとっては、殺したいほどムカつく態度の奴が、なぜか必ず
殺した後に、そいつが世間的に評判のいい人だったとわかる……
両親に優しかったり、家族思いだったり、なぜか殺した奴に限って
みんないい人!なのだ。で、そいつの親とかが、涙ながらに訴えて
くると、どんなにムカつく奴だったか、なんて説明しても無意味。

なんで、いつもそうなんだろう、と夢の中で毎回、悩んでいた。
そこで夢はいつも終わり。実際に人を殺したことはないので、
多分、似たような夢をよく見ていたんだと思うけど(笑)。
でも、割り切れない思いだけがいつも残った……

『クラッシュ』を見ていたら、突然またその夢の中に引き戻されて
ボーッと見ているような感覚に襲われた。確かにビデオなどで寸断
しながら見ていたら、そんなマジックにはかからなかったかもしれ
ないし、見るのが辛くなってたかもしれない。なぜかというと……

『クラッシュ』は、人と人との繋がりや関係の「悪い面」ばかりを
ピックアップしたような映画だからだ。
ある意味、人と人との繋がりの「素晴らしい面」ばかりを出会いと
愛でくくった名作『ラブ・アクチュアリー』とは対極をなす映画。
『ラブ・アクチュアリー』のダークサイド版と思って間違いない。
この映画の甘さが嫌いだった人には、ぜひ『クラッシュ』を劇場で
(辛くともノンストップで観られる環境で)見てほしいと思う。

とにかく『クラッシュ』に出てくる人たちは皆、他人の言うことを
まったく聞かない。一人一人の内情を見てみると、実はみんな、
そんなに悪い人じゃない。というか結構、善良な人たちなんだけど、
いざ他人との関わり合いをもつと自分の主張ばかり始めて、
人の話に聞く耳をもたない。相手に理解を示さない。

これはブログをやっていて感じたことでもある。
主張と理解のバランスが崩れ、自己嫌悪に陥ることもある。
これが一年を通じての反省だ。実はソーシャルネットなどでも、
そうした泥沼の言い争いが裏では頻繁にあるらしい。

その結果、いろんな最悪な状況が生まれるわけだが、
人種偏見は、その一つの要因に過ぎない。

特に印象的なのは、ヒスパニック系の錠前屋とイラン人の話。
全財産を叩いてアメリカに渡り、店をオープンしたイラン人が
用心のため拳銃を購入しようとするが、イラク人と間違われて
互いの主義主張を譲らずクラッシュしまくる。このイラン人、
あとで錠前屋に店のドアのカギを直してもらおうと依頼するが、
「ドアの周りを直さないと、これではカギを直しても無意味だ」
という錠前屋の助言を聞かず、「いいから言われた通り直せ!」
の一点張りで、まったくラチがあかない。それで、この錠前屋、
お金を受け取らずに帰ってしまう。後日、イラン人の店は夜中、
強盗に破壊され尽くす。全財産がパーだ。絶望したイラン人は、
錠前屋を逆恨みし、拳銃をもって錠前屋の住所を捜し当てる。

この錠前屋には一人娘がいて、娘のために一所懸命働いている。
「この透明マントを身に付けていれば天使が命を守ってくれる」
と、娘にプレゼントする優しい父親だ。そこへイラン人が現れ、
彼に拳銃を突きつける。それを見た娘は「パパは今、透明マント
を付けてないから、天使が守ってくれない!」と家を飛び出し、
拳銃と父親の間に割って入る。銃撃音。娘を抱きしめ叫ぶ父親……

『クラッシュ』は、最もそうなってほしくない、と思う方へと話が
展開する。もう、やめて、とお願いしたくなるストーリーなのだ。

マット・ディロン扮するベテラン警官に、セクハラ的な取り調べを
受ける黒人女性の話もそうだ。こんな横暴なセクハラ警官だけには
二度と会いたくないと思っているのに、車の横転事故でガソリンが
漏れ、怪我して脱出できない彼女を救いに来たのは、たまたまそこ
に居合わせたマット・ディロンなのだ。「来ないで!」と叫ぶが、
このままではすぐに引火して爆発してしまう、その皮肉な状況…。

マット・ディロンの行き過ぎたやり方に我慢ならず、コンビ解消を
直訴する相棒の若い警官(ライアン・フィリップ)は、この映画で
唯一、人の話を聞き入れ、温情も厚い一番いい奴だった。なのに、
結果的に彼だけが法的に取り返しのつかない行為に及んでしまう、
その皮肉さ。一方で、人の話をまったく聞かないマット・ディロン
が、家では不憫な闘病生活を送っている父親思いの一面もあったり
……まさに、これが現実だ。人間にはいろんな面があって、捉え方
によっては、善人にも悪人にもなる……実に見事な脚本だった。
終わり方の切れ味も良かった!
最近、マンネリ化している群衆劇の大家ロバート・アルトマン監督
作品より、はるかに上をいく出来ばえだ(総合評価★★★★★)。

この脚本は『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー脚色賞候補
となったポール・ハギス、彼の監督デビュー作でもある。当然、
今回のオスカー予想では、個人的に最も応援している映画だ。


最近、あの夢を見なくなったのは、その夢に対して一つの結論が
出たからだ、と思っている。それは、殺された人の家族や友人が
死んだ人に対して、「あー、あいつは殺されて当然の奴だったね」
なんてコメントするはずがない、家族のコメントもその人の一面
を語っているに過ぎない、と思えるようになったからだろう。
ただし、新聞やニュースでは、その一面しか取り上げられない。
結果論とその感想でしか物事は語られないことが実に多い。
『クラッシュ』はその内情をいろんな角度から見せてくれる。
イーストウッドの『ミスティック・リバー』とテーマは同じ。
現実は思ったより複雑で、時に非情だ。何事も理解し合うこと
から始めるしか、良くなる方法はないのだろう。

読者の皆様、一年間ありがとうございました。
また今後とも宜しくお願い致します。
フライトプラン
1月28日、日本公開初登場1位。3週間で、興行収入23億円。
すでに3年前の主演作『パニック・ルーム』の興収20億円を
超える大ヒットとなったジョディ・フォスターの最新主演作
『フライトプラン』は、予告編のオモシロさと本編が同程度
の出来という、標準的なハリウッド娯楽映画だ。宣伝費も、
それ相応。テレビCMは、随分長いことやってた。

飛行機の中にいる母娘。「数時間、眠ってしまえば、
起きた時にはニューヨークに着いてるから大丈夫」
みたいなことを娘に話して、眠るように諭す母。
窓にフーッと息を吹きかけ、指でハートを描く娘……。
ところが、母役のジョディ・フォスターが目覚めると娘がいない。
高度1万mを飛行中の乗客425名の機内で、目撃者は誰もいない。
娘を探しまくる母親の騒ぎで、機内が混乱状態に陥ったため、
捜索は乗員に任せ、席に着いて落ち着くように諭す機長。

しかし、機長役が今まで何度も悪役を演じているショーン・ビーン
だから信用できない(それが狙い??……笑)。
そして、この機長は客室乗務員から「娘が離陸前に死亡している」
と報告を受け、最初から子供など乗っていない、と母親に告げる。
夫が自殺したばかりで、一人娘までも失い、我を見失う母親。
心理カウンセラーに付き添われ、本当に自分がおかしくなっている
のかもしれない、と思った瞬間、窓に浮き出たハートを見つける!
やっぱり自分は狂ってない、娘は絶対、機内にいる……
そう確信した母は単独、実力行使に出る。

そんな予告編だけで、見たくなってしまうストーリーは、
もともとショーン・ペンのために書かれた脚本だった。が、
ジョディ・フォスター演じる母親に主人公が変わったことで、
より興行的な成功が確実なものになったのは間違いない。

(以下、真犯人は明かしませんが、それ以外はネタバレ注意!)

とはいえ、主人公がこの飛行機の設計者という設定は、いかにも
ご都合主義的。そうしないと、普通の母親では機内で実力行使など
簡単にできない、というリアリティ上の都合が最大の要因だろう。
さらに、彼女をハイジャック犯人に仕立てて現金を要求するという
手の込んだ筋書きを達成させるために、あえて飛行機の設計者を
選んで仕掛けられた罠だったという一見、合理的な説明もされる
ので、物語としての違和感は確かにない。けどねえ……後半、
そうした整合性のための種あかしの説明をされればされるほど、
見ているほうはシラけてくる。ご都合の説明を延々と受けてる
感じになっちゃうんだよねぇ…(笑)。

実際、その後の強いジョディ・フォスターの活躍を見るにつけ、
飛行機の設計者を犯人に仕立てるメリットより、デメリットの方が
はるかにデカいような気もしてくる。特に、犯人がわかった後の
展開は誰の目にも明らかで、急速に話への興味が冷めてしまう。
そこへ追い打ちをかけるような、ご都合の説明の嵐で万事休す。

最後は、爆発する飛行機から娘を抱えて歩いてくる母親の姿など、
ハリウッドの典型的ヒーローもの以外の何ものでもない。だから、
ヒットしたんだろうけど……全米では『パニック・ルーム』と同じ
9000万ドル前後のヒット。まるで、ありがちなアクション・スター
ばりの映画が2本も続くとは、ジョディ・フォスターらしくない。
間にチョイ役で、フランス映画に出ているところが彼女らしいけど
……単純にハリウッドスターとしての期待しか彼女にはしていない
ということなら充分楽しめるだろう。総合評価は及第点の★★★

『パニック・ルーム』公開のとき以来、3年ぶり6度目の来日
となったジョディ・フォスターは、映画で見るよりずっと若く、
子供との生活が本当に充実しているらしかった。それだけに、
監督作の予定は当面なく、依頼が来た映画に時々出演するだけ
というスタンスがしばらくの間は続くようだ。

それでも毎回、1億ドル近いヒットを飛ばせるのはスターは、
そんなにいないことを考えると、大したもんだなんだけどね…。
でも、それでいいの?……同じく危険に晒される母娘を描いた
パニック・サスペンス娯楽映画『パニック・ルーム』の方が、
もうちょっと盛り上がったような、そんな記憶があるけど……
こちらも総合評価は及第点★★★ぐらいだったかな。



ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
パニック・ルーム